去る6月11日(土)に現保護者の親子の皆さん、幼稚園に転園された親子の皆さん、あひるが丘保育園の職員の先生たち。そして現地から臨海合宿宿舎の『まいまいハウス』の館長さんが参加してくださり、総勢31名の大人と子どもが海岸清掃活動を行いました。

今年で5回目となります社会貢献活動で場所は京都府舞鶴市神﨑海水浴場です。この海は当保育園も加盟しております(社)京都府保育協会が所有してます宿泊のできる『児童厚生施設』のある場所で、毎年海から遠い京都府中部、南部の多くの保育園がお泊り保育でお世話になっている場所です。

 

『人の為に何かが出来る人になろう』

『人同士が関わる営みを「丁寧に豊かに」行っていきたい』

 

『教育』という言葉は様々に定義され、様々な方法や分野や場所、そして年齢でおこなわれています。

教育という言葉はは英語ではEducation(エデュケーション)。日本で教育というと、上から下へ「教え諭す」という感じや、教師の知識を子ども達に教える「知育」という意味に使われることが多いと感じます。そして一方のEducationは「外へ導く」「可能性を引き出す」というニュアンスで用いられています。同じ事を指す言葉なのに随分違う意味に聞こえます。

私は、教育の目的の一つには「自分や、自分たちが困らずに賢く生きていく為の術(すべ)を学ぶ事」があると考えています。単に「沢山の知識を覚え、知っている事のみ」を指すのではありません。「自分と他者が」が主語ですので互いが一緒に生きていく。つまり互いの思い、『心』に折り合いを上手につけあって生きる術(知恵と知識を織り成して)を心と身体を通して学ぶことであると考えています。

「学科の成績」がすべての評価であり、人をそれだけで丸ごと評価してしまうという(一つの物差しだけで人間の価値を計る)戦後社会の経済偏重主義に不安を感じてしまいます。

世の中には様々な人がいます。楽器を奏でるのが得意な人、学科の成績がいい人、スポーツ万能な運動神経のいい人、懐深くただその人が居るだけで皆の心が和める雰囲気を持つ人、不器用だけどコツコツ真面目に努力を重ねられる人、絵画造形分野で優れてる人。それぞれに努力を伴いながら、他者の温かい眼差しや応援を受けながら個性を伸ばし『Education(可能性をひきだす)』して今日を生きておられるんだと思います。

これからを生き、キラキラとした瞳で世の中を見据え、活躍していく可能性をもった子ども達。『知識の詰め込み』だけでなく『教養(社会人として必要な広い文化的な知識。また、それによって養われた品位。)』も養い育てていきたいと強く感じています。

『人の為に何かが出来る人になろう』

『人同士が関わる営みを「丁寧に豊かに」行っていきたい』

海岸清掃活動だけではない日々の暮らしである『保育』という教育で私たちは子ども達を育て、そして保護者の皆さんと子ども達を『育て合い』、私たち自身が『育ちあ合って』行きたいと思います。子育ての『パートナー』として。

 

 

 

 

 

 

 

神﨑海岸に着くと神﨑観光協協会の会長さん、神﨑区の区長さん、まいまいハウスの館長さんに出迎えて頂きました。海岸の砂が冬の間に随分波で削られて昨年とは形が変わっていて驚きました。

「エイエイオー!!」と気合十分で清掃の開始です。

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ台風が上陸してないのゴミの量はでたくさんではなかったですが、海水浴を楽しむような状態ではありません。そして今年は快晴でしたので暑いっ!!熱中症対策の飴をなめ、水分補給をし、無理のないように会話をし、楽しみながらすすめました。お父さんのお一人が私の中学の時の先輩だったと知れましたし。思春期の娘さんにまつわる悩みを聞かせて頂きながら、自分の「かつてあった思春期」を思い返したり、趣味の話を語り合いながらの活動でした。色々な話を聞けて、話せて楽しい時間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子ども達は(合宿にいく年長児)清掃活動(海を綺麗にする目的)に来ているんだけども海藻を集めたり、波打ち際で遊びながら過ごしています。

「おーい!海綺麗にしにきたんやろ?!」「〇〇ちゃん一緒にやろう!」と声を掛けられながら途切れそうになる「幼いながらの使命感」や「人の役に立つ事の喜び(誇り)」を呼び起こし、呼び起こされながら頑張っていました。時にはケンカだってします♪ケンカをしながら相手の気持ちを知り、自分の気持ちを伝え、『心と心に折り合いをつける術』を知るんです。もちろん『言葉を用いて』ということは絶対必要ですが。(年齢に応じ大人が仲立ちとなってやり)

「僕の熊手やでっ!!」「ちゃうっ!!僕が最初に見つけたんやっ!!」

たくさん『言葉を用いて』関わり、暮らしを進めながら学んで行ってね!!

午前中の約二時間弱の時間で随分浜も綺麗になりました。

手作り弁当を食べて昼からも頑張りますよ~♪

浜茶屋のおじさんが組立て中の海の家を開放し、御座も貸してくださいました。地域の人達にも喜ばれ、関わりを持てていることに喜びを覚え、この活動の意義を感じました。

 

 

 

 

 

 

 

快晴の海岸線のむこうの沖には冠島(かんむりじま)がはっきり見えていました。

さあ、お腹もいっぱいになり昼からの清掃開始です!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前中はほとんど遊んで、清掃していなかった子どももいました。保護者のお母さんや、お父さん。そして職員の先生たちが声を掛け、労いや励ましの声を掛け続け、友だちの姿を見て、触発されながら最後は一人一人が懸命に「楽しんで」清掃を行っていたように感じています。

子ども達を、叱ったり、励ましたり、手を貸すのは『立派な行為や姿に導き、褒め、認めるため』。

かりそめの立派さかもしれません。褒められたり、認めてくれる他者がいたから頑張れたのかもしれません。

私の宗門(曹洞宗)のある老僧の言葉です。

「わからない、できないと言って何もしないのではなく、まずは人の真似から始めてみなさい。一日真似れたら一日の真似。三日真似れたら三日の真似。一年真似れたら一年の真似。十年真似れたら十年の真似。五十年真似れたら五十年の真似。しかし命尽きるまで真似れたらそれは『自分の物』。ホンマモノだよ。」

私は躾け(しつけ)とは人格形成の完成であるとされる二十歳まで「そのことを(その行為や感性を伴った生き様など)必要と感じた大人が『し続ける』ことで子ども達にホンマモノとして心に、魂に『根付く』と信じ、考えています。今回の子ども達のかりそめの立派な姿を、ホンマモノにするために私たち大人が、『暮らしという教育』を『一緒に』行いながら生きていきたいと思います。この私達の宝である、子ども達と私達の輝かしい未来を夢見て!!

 

 

 

 

 

 

 

綺麗になった海岸線。今年も7月にごりら組が安全に意義のあるお泊り合宿保育ができそうです。

 

 

 

 

 

 

 

最後まで集めて頂き、無事に終えての会話ですね。話をして互いを知ることは、心が近づき心地よさを感じます。人と関わると煩わしさもあるかもしれません。しかしそれでも人が好き。人の中で生きていきたいと願い生きていく生き方をしたいものです。

これからも会話を交わし日々の暮らしに喜びを見いだせる生き方を模索していきましょう。

『一緒に』

今回の海岸清掃参加者は総勢31名。在園の皆さん、転園された方、現地の方。そして保育園の職員と様々な方の参加で為しえたことに感慨深さを感じています。回収したごみ袋の総数は『126袋』でした。

参加して頂いた皆さん、本当にご苦労様でした。ありがとうございました。そして行くことは出来なかったけど気持ちを向けて頂いた皆さんもありがとうございました。